月刊エッセイ       5/19/2004


「何とかならんのか、自治会」

 恐れていたものがやってきてしまいました。自治会の役員です。
 もともと、私は、たまたまそこの場所に属しているだけで「皆、仲良くしていきましょう」という仲良しの押しつけや、親切の押し売りは大嫌いだという人間です。しかし、自治会はゴミの回収の問題もあったりするので、3年前に引っ越してからずっと、今住んでいる我孫子市K地区の自治会に入っていました。
 それが今年度、役員の中でもいちばん下っ端の「班長」なるものが、まわってきたのですよ。班長というのは、会費を集めたり、防災訓練への参加、クリーン運動、防犯パトロールなどの雑用を一手に引き受ける役なんです。どこまで実効性があるのかわかりゃしないパフォーマンスみたいな活動に時間をとられるのは、冗談じゃねえなあ、と、思いつつも、まあ、一時的にでもこの地に住んでいるから、仕方ねえかなあ、と、特に条件をつけることもなく引き受けてしまったのが、間違いだったかもしれない。

 4月半ばの日曜日の午前中、最初の自治会総会なるものが開かれました。わが地区は700 世帯もの大人数で、役員の数も多数ですので、市民会館の大ホールを使い、市長臨席のもとで(自治会に、なんで行政のトップが来るのだ ?)行われたのです。
 そこで、昨年度の活動報告やら来年度の予定などが発表されたのですが、私の常識では、理解できない盛り沢山の活動が並んでいたんですね。地域の美化運動、防犯運動、防災活動などは理解できます。盆踊りやお祭の手伝い、日帰りバス旅行の取り次ぎなどの仕事も、まあ、疑問はありますが、仕方がないかなと思う。しかし、赤十字や赤い羽根など各種の募金となると、これがどうして地域の活動と関係があるのかと、大いなる疑問が生じます。
 こういう時、損だと思っていても黙ってはいられないのが、私の性分なのであります(ほんとに損なんだよなあ)。なぜ、自治会が地域とは関係のない募金活動をしなければならないのか、問い質しました。すると、自治会長さんからも事務局長さんからも、返ってきた答えは、
「これは、いいことですから、やってるんです」
 おいおい、質問を取り違えないでくれ。いくつかの問題点はあるにしても、私自身、赤十字にしても赤い羽根にしても歳末助け合いにしても、いいことだと思っています。しかし、私が訊いているのは、地域と関係ないお金集めを、なぜ地域の人間がやらなければならないのか、ということ。それに「いいこと」という基準なら、緑の羽根だって、交通遺児育英の募金だって、その他、三宅島支援だって、それこそ、いくらでもあるのに、なぜ、赤十字と赤い羽根、歳末助け合いの3つだけに絞るのかという疑問です。
 重ねて、質問すると、女性の事務局長さんからは「以前、大雨による床下浸水があった時、被害者宅に見舞金も贈られましたし」というご返事。滅多にない地域の小さな災害のお見舞いもらうのに、募金をしなくちゃならないのかねえ……。
 初回から、あまり噛みついても迷惑でしょうから、「次の班長会で質問しますので」と矛を収めました。
 帰りがけに、何やら包みをもらいました。家に帰って、開けてみると、理事会でよく使われている料理屋で作られた濡れ甘納豆であります。なぜ、濡れ甘納豆をお土産にもらわなければならないのか? 経費の無駄ではないか? などなどの疑問を抱きながらも、捨てるわけにもいかず、濡れ甘納豆というよりも、限りなく煮豆に近い濡れ甘納豆をモコモコ食べたのでありました。

 会合や労働作業といった仕事は私がやり、会費や募金集めはカミさんが受け持つという分担をすることになりました。班長の最初の仕事である会費と赤十字の募金集めに近所まわりをしたカミさんは、日頃、話す機会がない人とのコミニュケーションがとれて、それはそれで成果も上がったようです。また「赤十字の募金は、あくまで任意のものですから」と注釈をつけたところ、献金しない意思を示した者が3名、形ばかりわずかな金額を払った者が数名。去年までは、ほぼ全員が一定額を支払っていたのでありますから、僅かながら変化はしたのではないのでしょうか。

 5月の連休の最後となる日曜日の午前中、班長会なるものが開かれ、私も出て行きました。ここでは、今年度、班長のやる仕事が、担当理事のほうから発表になりました。年に2回、「ゴミゼロ運動」なるゴミ拾いをやるんだそうですが、その際、ノボリを立てたり、揃いの服を着たりするかもしれないことが発表されました。なんか「ダンナ、今だったら、表示価格からさらに1割引いて、ポイントもつきまっせ」と客に迫る家電安売り店の店員みたいだなあ。勘弁してくれよ。私は服装自由でいきます。
 そして、総会の時のからみもあるので、再び募金活動についての質問をしてみました。しかし、返ってくる答は同じ。いいことだから、やってるんです。他地区では、個別に募金せず、自治会の予算から一定額を納めているところもあるんですが、ここでは、住民同士のコミニュケーションをはかる意味でも、各家をまわって集めてるんです、と ――
 なにか、ごちゃごちゃ言うと、一定額をそのまま募金に回してしまうぞ、みたいなお言葉。こうなったら、募金というより、一種の年貢ですね。
 一定額を自動的も募金にまわすのは、もっと良くないことだと、私がなおもカミついていると、何を思ったのか、突然、事務局長さんが、
「赤十字は19世紀にアンリ・デュナンが作り ――
 と赤十字の歴史を語り始めたのです。歴史から始まって現在の活動ぶりまでその“偉業”をえんえんと話していって、簡単には終わりそうもない。
 呆気にとられました。赤十字の話といっても、どこかのパンフレットに書いてあるような内容で、知っていることばかりです。きっと、私が班長会で再質問することを予期して、勉強してきたんだろうな。むろん、阪神淡路大震災の時、集まった救援物資や資金の配分などで赤十字がろくに役に立たなかったなんて悪い話はするはずもなく(知らないんだろうね)、良いことづくめのオン・パレード。
 続いて、50代の後半と思われるオジさん班長が、募金活動についての発言をしました。
「慣習権というものもある。慣習は大切にしなければならない」
 ずっーと昔から、この地に住んでいるという男性の発言に、またまた驚きました。
 しかし、慣習権ってのは、何だろうね。慣習法だったら、知ってるけどさ。入会権とか水利権と同じようなものかな。だけど、自治会予算の配分や活動に、慣習に基づく権利なんて、あるはずないのは、少し考えてみればわかりそうなものなんだが……。
 呆れる以上に、アホくさくなって、
「慣習ならば、それを続けなければならない合理的根拠を示すべきです」
 という発言を最後に、追及は終わり。

 しかし、アホくさくなるのと同時に、ガッカリもしました。それは、総会の時も班長会の時も、出席者がろくに発言しないのです。「金網が破れてる」「分譲地の土が風で飛ぶ」「石段には手すりも必要」なんていう、細かなことについての発言(これも必要なことなんでしょうが)はあっても、自治会活動の根幹に関わるような事柄については、皆さん、貝のように口を閉じてしまうのであります。では、今の自治会に満足しているかといえば、「エライ人だけで決めている」などいう不満の声もけっこう聞こえてきているのです。なのに、会議の場になると、皆さん、沈黙。
〈ここで発言すると、村八分にされる〉〈喋ると、面倒くさい役員にされるかもしれない〉〈黙ってたほうがトクだもんね〉なあんて計算が、出席者の頭の間では、カチャカチャカチャと行われてるんでしょうね。まあ、私なんて、村八分まったく気にしません、むしろセイセイするよ、という人種ですので、平気で思っていることを発言するのですが。

 こうした傾向は、学校の父母会や子供会の運営会でも、よく見られるといいます。何か議題になっても、皆さん下を向いて喋らない。ある人が言いました。
「大人はしまつにおえない。子供のほうが、まだマシですよ」
 損得計算ばかりして、自分が損をすることは、ひたすら避けようとするから、物事が前に進んでいかないというんです。
 そういえば、近頃は、小さな計算ばかりする人が目立ちます。年金の未払い問題だって、年金改正法が衆議院を通過するのを見計らって「じつは、私も払っていませんでした」と白状したりする議員が数多くいる。資格試験、就職試験では、どうすればパスするのかのハウツー指南書が人気を集めています。
 子供は大人を見て育つといいますよね。こうした大人ばかりを見ていると、子供自身もムラ社会の小さな一員となって、“無視”や“見て見ぬふり”というイジメに加担することになるんじゃないかな。

 私自身、過去に閉鎖的なムラ社会ニッポンを「窒息地帯」(新潮社)や「絶対零度」(講談社)といった小説の中で書いてきました。これだけ国際化が進み、世の中が変わってきているというのに、この点については大きな変化はないように見えます。そのうちに、日本国だけが、先進国の中では“精神的発展途上国”としてバカにされるようになるんじゃないかなあ。大いに心配です。

 自治会については、他にもおかしなところはたくさん見つかります。たとえば、日帰りバス旅行の補助金。参加する人間はごく限られている親睦バス旅行のために、38万円もの補助金が支払われています。親睦は大いにけっこうですが、ぜひ全額自腹で行ってほしいものです。
 住民から集めたお金の補助を受けてバス旅行に行って、楽しいんでしょうか。補助金漬けの日本の現実を表しているみたいです。美しくないなあ。

 さらに付け加えれば、玄関のところにかけなさいと、「自治会班長」「防犯協力員」と記されたけっこう大きな看板を渡されました。私のところはボロ家ですが、美意識みたいなものも少しはあります。また自治会員にはなっていても、「防犯協力員」になった覚えはありません。当然、無視して、看板はかけておりません。
  自治会の班長になって、まだ2カ月もたっていないのに、どうにも気分が重い。まだ、あと10カ月もあるってのにねえ。
 しかし、そこは作家という職業。ここは割り切って、しっかり人間観察をしてしまおうかな、とも思っています。そんなふうに割り切れば、これは絶好の機会です。
 まあ、1年間、班長をやって、ほとほと愛想が尽きたのなら、自治会から脱退すればいい。なにせ、自治会というのは、あくまで任意団体で、入会退会は自由ですので、辞めてみるのも、ひとつのやり方でしょう。家庭ゴミの問題をどうするのかは、市の清掃局や自治会長さんと協議ということになるでしょうが、これもまた勉強になるはずです。

 ともあれ、今月末の日曜には朝も9時から「ゴミゼロ運動」(なんか気持悪い言葉だねえ)なるもので呼び出され、翌月には、消防署まで行って消火訓練なのだそうな。
 帰りに、濡れ甘納豆のお土産を持たされるんだろうか……。



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